◆1969年
族長[Ash]、会長[Monsieur]の両名が生まれる。特に兄弟というわけではない。時代は69年、まさにRockの年。
◆1970年
酋長[Yabush]生まれる。正統なるIndianの末裔かどうかは当時の鑑定法からは定かではなかった。
いまだに「俺の方が一歳若い」と都度都度つぶやく。
◆1976年
三役ともに新入生として同じ小学校に入学。会長と酋長に至っては6学年まですべて同じクラス。普通は「同級生で○○のコピーバンドを結成、卒業式の謝恩会で初ステージを踏む。」といった類いのエピソードがあると美しいが、そんなことは全く無く、通称「ババァ屋」と呼ばれる学校近くの文房具屋
兼 駄菓子屋にたむろする日々。餡子玉、よっちゃんいか、キャベツ太郎を食す日々であった。コカコーラ社公認のヨーヨーチャンピオンなる怪しい外人が来店し、華麗なる技を披露するといったイベントに熱を上げることもあった。ババァ屋、先日車で通ったら、跡形も無くなっていた。無念。
◆1982年
当時としては珍しいいわゆる「お受験」で会長と酋長は別々の私立中学、族長は地元の公立中学と三役とも違う中学校に進学。会長と酋長はおのおの付属中学であったため、高等部の長髪の先輩を見てバンド活動に目覚める。 しかし、各々の近況は族長を通じて把握する程度であった。族長のおふくろさん的な性格が三役を繋ぐ細い糸として、かろうじて維持されている時期であり、のちに起動&再起動を果たすことになるとはメンバーは全く思っていない。
◆1984年頃
中学2年あたりから洋楽に目覚め、翌1984年のVAN HALENの名作「1984」リリースやBON・JOVIのデビュー作など、バンド形態を採用する音楽に傾倒する。主たる情報入手経路は小林克也の伝説的音楽紹介番組『ベストヒットUSA』。
深夜とはいえ土曜の夜11時代だったので、当時中学生だったメンバーにとってはそんなに遅い時間というわけではなかった。同時期に放送されていた『MTV』(チャンネルではなく、TV番組として)は深夜2時とかにやっていたので、正直辛かった。
◆1985~88年
高校に入学する頃には会長⇔酋長間の連絡も比較的頻繁となるが、各々のバンドでdrumを担当しており、族長は族長で違うバンドでVocalを担当するなど、活動はバラバラ。まぁ高校がそれぞれ違うのでもっともな話だが、不思議と高校の枠を超えて付き合いは継続。これも族長のマメさによるところが大きい。将来的に一緒に創作活動を行うという概念はこの時期でさえ全く無い。
◆1989~93年
高校卒業後エスカレーター式に大学に進学する者、浪人する者、自分探しと称して当面プータローを決め込む者などバラバラな進路を歩むも、一回きりだが、Drum:酋長&Bass:会長で「島村楽器バンドコンテスト」に出場したりと創作活動的に接点を持ち始めつつあった。
この頃は酋長&族長のバイト先である深夜のMINISTOP(ミニストップ)に夜な夜な集結し、会長も含めバイト仲間の友達やそのまた友達などと共にMinistoppers(ミニストッパーズ)を結成。
ミニストップはイートイン(買った食べ物を店内で飲食できるスペース)のあるコンビニエンスストアの先駆けであるが、Ministoppers live at eat-in !と称しゲリラLIVEを敢行したり、真冬の富士山に薄着で訪問するなどの馬鹿活動を
繰り広げていた。
大学進学組もそろそろ就職活動をという雰囲気になると各バンドも自然消滅や解散といった流れとなる中で、何か残そうという意志からDTM[Desktop
Music]でのアプローチ手法を用いて【BIG3_Look At That Heaven】と【BIG3_Analog vs digital】を制作発表。当時は4トラックMTRで録ってたなぁ。間違って消しちゃったり。。。
ちなみにBIG3とは当時のアメリカ自動車メーカーの3強=General Motors、Ford、Chryslerのこと。
◆1994~98年
会長は就職し、新入社員として会長職激務の日々が始まる。
酋長はバンド形態の活動を継続し別途LIVE活動を行ったりしていたが、最終的に族長とともにプロデビューを狙い活動を開始。その際の代表的デモテープが【bushウルトラ】である。当時はなぜか ultra がカタカナ。
◆1999~2011年
1999年時点でメンバーそれぞれ三十路手前。既に結婚してたり、職に就かないとマズイと思ってたり、と怒涛の人生。以後、転職したり、結婚したり、子供が生まれたり、家を建てたり、やなんやらで纏まった創作活動の時間が取り難くなりBIG3およびbushウルトラの活動は自然消滅的に歩みを停めた。正直、ここらへんの記憶は曖昧。bush
ultra活動的にはmissing decade(失われた10年)と呼ばれており、わが国の音楽史的には痛い損失であったかもしれない。。。
◆2012年
BIG3およびbushウルトラの活動が自然消滅的に停止となってから長い年月が経過し、四十路を過ぎていることに酋長が危機感を強く覚え、「諸君、このまま朽ち果てていいのかっ!俺たちの生きる証(あかし)を残そうじゃないか!ジーク
ジオン!」と再起動を提言。
「え~、めんどくさいよ~。機材古くて動かないし by 族長」「やだ。んなこと言ってはじめると、酋長こそ作業やってこないんじゃないのけ? by
会長」「インディアン、嘘つかない!by 酋長 」と活発な意見交換を行う中で『ん~じゃ、ライフワークとしてやってみっかぁ』ということで、2012年末に【新生
bush ultra】としてこっそり再起動を果たす。
再起動の最大の決め手は「Denny'sのタラマヨポテト」がたいそう美味であり、タラマヨディップがお代わりOKだったことにある。
◆2013年
前年度末の電撃的な再起動の記憶が覚めやらぬ2013年4月、ついにCD Maxi Single『REBORN』を再起動作品第一弾として発表。2013年度は3ヶ月に1回のMaxi
Singleを世に問うという、老体に鞭打つMなマニュフェストを掲げ精力的に活動を行う。その公約を完遂し4作品をリリースした軌跡は、作品目録/DISCOGRAPHYに詳しく記載。
◆2014年
再起動初年度である2013年に張り切ってしまったがために、楽曲ストックが枯渇しつつある2014年の初頭。。。。年始からbush ultra大会議が催され「だから、半年にいっぺんにしときゃ良かったんだよ!」とか「ん~、でも新曲のアイデアが若い頃に比べると、飛躍的に出ないぜ。」とか「刺激的な毎日と多感な生活を送れば、楽曲は湧き上がるもんだ!」等々の活発な意見交換が行われました(於:Denny's
with タラマヨポテト)。その結果『ことしも、いっしょうけんめいがんばろう!』を年度コンセプトとして2014年度bush ultra活動が開始されております。
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